メイクするようになって心境が変わってきたから振り返る話

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2020年、テクノロジーの進歩した現代はずっと安定したまま、その姿を保つと思っていたけど
病原菌ひとつであっさり塗り替わったそんな年だった

春、夏、秋、冬、1年通して季節は巡っていたけど
特に今年は何かしたなという記憶もない

ライブもイベントもない
何かに出会う機会もそれに比例してない

家にいる時間がすごく増えた
週2回メイクして過ごすのがこれまでの当たり前だったけど
家にいるからいつでもメイクができる気づけば週5でメイクするときもあった

家にいるって代わり映えしないから、装い変えてキブンを変えるくらいしか
目に見える変化がほしかった
メイクという生きがいをもっててよかったなってつくづく思った

没頭できることも減ってきた

理由は長く集中するココロもそれについてきてくれるカラダも
昔ほどは長持ちしなくなって、ちゃんと休ませたりメンテナンスが必要だなって
コトが増えてきちゃったから

ゲームひとつを狂ったようにやってた頃がなつかしい
30分のアニメを楽しむに見てたことがなつかしい
小説の続きが気になって、寝る時間を削って読んでしまっていたのがなつかしい

もうそこまでほしくないや

ニンゲンて機械じゃないのね
まあ機械も休ませたり、動かしたりのバランスは大事だし
メンテナンスして部品交換しないと
不滅の存在ではないのだけど

その点メイクは便利
最短10分もあれば、姿を変えられちゃうんだから
アイライナーの引き方を気分で変えたり
アイシャドーの色もそれにあわせて変えて
ウィッグもいまや7色はあるでしょ

服を選んで、つける小物を選んだら
ハイ、できあがり

でもぜんぶ違う姿
組み合わせはじゆう
できあがるわたしもじゆう

今年1年は特に思い出が少ないのだけれど
過去最高にメイクをした年になってた

そして指折り数えて気づいた
わたしのメイク歴はおそらく4~5年を迎えている
ちゃんと数えてるわけじゃないからこんなおぼろげな期間だけど
どうもそれくらいやっているようだった

これだけ長く続くとは
始めたときは人生1度やったら満足だと思っていたのに
そしてそんなにやってる気もしていない

最初はメイクすることって特別なコトって認識だったんだけど
いまは着たい服を着たい姿で着るのは当たり前
それができるだけの技術がなかったから実現できなかっただけで

できるようになったら
毎日姿は変わるけど、それはぜんぶじぶんの内面だし
ヒトの中身って普遍じゃなくて
コロコロ変わってくのが当たり前だって思ってる

身を置いてる環境から受ける影響で
価値観とかも変わるし
経験を積んでいくうちに、新しい考えが生まれるかもしれないし

ちょっと気圧が変わっただけど体調おかしくなるから
それに引っ張られて気持ちもズンッって沈んだりもするし

朝起きた瞬間から、きのうのわたしはもういないし
起きて過ごしてる間に世界の空気の流れに乗ってる間に
じぶんの中身も毎瞬毎瞬、絵の具が混ざるときみたいに
ぐにゃぐにゃ混ざって色が変わって、ドロドロ、ときにはサッと変わって
それだけ変化してるのが当たり前だと思う

さっきまで普通に見えたヒトが突然、ワッって感情だして
びっくりすることあるけど、見えないだけど中では渦巻いて変化して
大きな波に乗ってるんだなって思う

わたしもけっこうな気まぐれだし
気分なんてコロコロ変わるし

素体は男性で生まれているけど
小さい頃からキレイなものが大好きで
キレイなヒトが大好きで
美しい在り様が大好きで

ただ、素体が男でその気持ちを世の中に素直に伝えると
異端扱いで、環境に馴染まないということは感づいていたから

そんな小さな女の子がココロの中にいる感覚で
きみはそのままお外にでちゃうと火あぶりされちゃうから
こっそり楽しもうねって

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じぶんが感じたキレイや美しいを小部屋に集めて
その中でその子はながーいこと過ごしてたけど
ずっと同居はしてたって感覚

素体が男性で、違和感は特にないんだけど
わたしの世界の見え方がいまの大多数が信じてる世界と違うみたいだから

でもわたしの世界はわたし世界で
見えてることや感じてることは紛れもない事実で

話すとオモシロいってよく言われるんだよね
そんなことも考えたこともないって

わたしはわかるっていってくれるヒト
共感してくれるヒトを求めていたのだけれど
なかなか見つからなくて困ってたなー

かんぜんな理解はムリだけど
近い感覚のヒトにいてほしかった

なにせ世界の前提が人それぞれ違うと思ってなかったから
話がかみ合わない、なんでだろ

そこはわかっていてもらえてるものだと思ってたけど
ちがうのかー
チグハグな会話って疲れるのよね

なんの話だっけ
そうそう同居してるココロの女の子
これからはわたしの人生はわたしのために生きるって決める事件が立て続けに起きて
まああれはしんどかったわ

30年くらい過ぎてやっと自分に自我がない
周りの空気読んでどうもそこに合わせて擬態する能力がけっこう高いんじゃないか?
それ故、一見なじめてるから不便も疑問ももってなかったんだけど

そこにわたしはいないから
そのツケというか、わたしの世界なのに、わたしがいないっていう
大いなる矛盾の総決算

メイクして姿コロコロ変えるけど
それは絶え間なく変化するわたしの形に合わせてるだけで
ぜんぶわたし

角度を変えたら見え方が変わっただけ
いまが一番たのしい

魂に近い格好がやっとできるようになったから
生きてくうちに塗り固めて忘れてしまったわたしの形を
メイクして作って表現して

やっと元に戻していけるようになった
だからわたし、メイクはもう特別なコトじゃなくて

これまで蓄積してきたわたしという塊を
そのときの気分でふさわしい角度から見て

元のわたしに戻ってる
ただそれだけ

元の姿に戻って好き勝手して過ごしてたのだけど
環境も気づいたら変わってた

もう最近わたしがプライベートで会う人ってほぼほぼわたしがメイクした状態であうから
メイクしてバッチリ決めて遊んでるほうが楽しいし

男性女性って尺度じゃなくて、その人個人で見てくれてるなってヒトが増えた

そーすると話すのがまあ楽なんだよねー
わたしはわたしだし、あなたはあなただし
違うのが当たり前で

その前提で話してると
あなたはこれをどう見てどう考えてる?
そーなんだー
わたしはこう見えてこう考えてるよ
たのしいね

って違いをすり合わせてたのしむコトができる

これがないと相手との会話で何が起きるとしんどいかというと
このヒト別にわたし自身に興味ないな
そんなコト聞いて、ほんとに興味あるの?
コトバに困って定型文を投げてるんだろうなーって
わかるパターンがあるから

それ別にわたしと会話しなくてもよくない?
壁の絵と会話してても結果は変わらないと思うよー?

わたしの時間は有限で、たのしい会話ができるヒトと話すことに使いたいのよ
やっと近い世界のヒトが周りに増えてきた

ああっ、この会話楽しいなって場面が増えてきて
それに合わせて生きててたのしいなって思う時間が過ごせてるんだから

かんぜんにはわからないけど、近い気持ちはあるかもねって
それが相手にあるかないかってぜんぜん違う

わからないから教えて?もっと具体的に聞かせてって歩み寄るとか
とるアクションから違うんだもん

そんな世界もあってほんとによかった
メイクして、好きな格好してて一番よかったなって思うコト

気づいたらそんな風に変わってた

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